『シヴィライゼーション VI』:フランスを率いるのはカトリーヌ・ド・メディシス

イタリアの貴族の家柄に生まれたカトリーヌ・ド・メディシスは、フランス国王アンリ2世の妃となり、1547年から夫が死去する1559年まで女王の地位にありました。しかし、カトリーヌの影響力はこの短い期間にとどまりませんでした。というのも、彼女が生んだ3人の息子のいずれもが、彼女の在命中にフランス国王となったからです。

カトリーヌの息子たちの治世、フランスは止むことのない内乱と宗教戦争の渦中にありました。しかし、複雑で、打ち勝つことは不可能としか思えない苦難にさらされ続けたにもかかわらず、反抗的なプロテスタントに対して当初は妥協策を、後には強硬策を採ることにより、彼女はフランスの王権を見事守り抜きます。カトリーヌは当時のヨーロッパにおいて最も力のある女性の1人であり、フランスが最も動揺していたこの時代にも王権が揺るがなかったのは、まぎれもなく決然たる彼女の尽力によるものでした。

 

固有ユニット:皇帝近衛隊

皇帝近衛隊は、ナポレオン・ボナパルトによって1799年に創設された精鋭部隊で、戦時にはしばしば他の兵士が羨むほどの高給、装備、営舎、食事を与えられました。古参近衛隊、中堅近衛隊、新規近衛隊の3隊によって構成されていた皇帝近衛隊は、最後までナポレオンに忠実に仕えたことで知られています。 ワーテルローの戦い では、中堅近衛隊が退却を余儀なくされたものの(これが最初で最後)、他の2隊はイギリスとプロイセン連合軍の砲撃による甚大な損害をものともせず、後退する彼らの皇帝を守り抜きました。

固有施設:シャトー

歴史的には、領地に囲まれた貴族の邸宅を「シャトー」と言います。1600年代のフランスでは、裕福な領主たちにより、こうした優美で豪奢な屋敷が地方にいくつも築かれました。残念なことに、その多くは農民の反乱や民衆が起こした革命で焼き打ちに遭いましたが、一部は現存し、人気の観光スポットとなっています。カトリーヌ・ド・メディシスが愛した シャトー・ド・シェノンソー もその1つで、ここではたびたび豪華な夜会が催され、フランスで初めて花火が打ち上げられました。

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